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コラムやまぐち
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情報芸術(1)
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山口市の施設として、「山口情報芸術センター」というものがある。建物はホールとスタジオ、広いホワイエを持ち、市立図書館も併設されている。オープンは2003年で、もうすぐ10周年を迎える。テクノロジーとアートの融合を目指すというもので、理念としては「市民の豊かな感性と知性を育み、情報と文化の交流拠点として次世代を担う新たな人材を育成する」と謳う。
インターネットで「情報芸術」で検索してみると、NTTインターコミュニケーションセンター略してICCと山口のセンター呼称YCAMがヒットする。最先端ということであれば全国的にもっと自治体や企業が取り組んでいるかと思えばそうではないようだ。
日本でのメディアアートの歴史を調べてみると、キヤノンが1991年に「キヤノンアートラボ」というデジタル技術を用いたアートの支援活動を立ち上げている。当初は評価も高かったようであるが10年後の2001年にはこのメセナ活動に終止符を打つ。世界的なハイテク企業であるので、デジタルアートと企業活動をリンクさせたかったのであろうが、芸術の根幹である「人に感動を与える」という次元から離れてきていることに気付いたのであろう。企業の成長戦略にはならないと判断したと想像する10年というあまりに短い期間での撤退であった。時を同じくしてこの頃、ICCも大幅に規模を縮小している。
その2年後、YCAMがオープンした。要するにあの東京で先が見えなくなったものの受け皿となった。山口のような田舎では「デジタル」と聞くだけで崇めるところがある。
YCAMの活動は、世界中から「アーティスト」なるものを招聘し、滞在させ「制作実験」をさせる。作品は全世界で発表することになっている。要するに山口市民は彼らのスポンサーである。全経費は数億円にのぼる。どこかの展覧会で賞に入れば山口市には名誉が返っては来るが、血税は返って来ない。その賞もあまり知られていなくて市民には価値判断ができない。室町時代西国一の大名大内氏は潤沢な資金で雪舟や宗祇といった文化人を京から招聘し、面倒をみた。狂言などの芸能にも積極的に取り組んだ。日本で最も古い「狂言」と記述のある文書も残っている。これらは当時としては前衛的であったのかも知れないが、民衆は熱狂し平成の現代まで引き継がれている。デジタル機器は日進月歩で、短期間で陳腐なものになる。作品は機器性能に依るところが大きいので、「今」の作品は一過性のものではないだろうか。果たしてこれが「芸術」と言えるものかどうか判断が難しい。
さて大内氏は芸能文化に傾注するあまり、家臣の反乱にあい滅亡する。
(入江 正敏 元・テレビ山口報道製作局長 山口メディア研究所代表)
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